校舎。
 木造の廊下から見える校庭のその先には海が見え、一つの小さな島も見える。
 私立藍通高等学校。
 海に面した小さな町の、小さな学校だ。
 その職員室前の廊下。そこに一人の学生が教科書を胸に持ったまま立ち止まっていた。
 喜増苺乃(きましいちの)。
 癖のない色素の薄い髪に眼鏡。大人し目のその顔立ちは、いかにも「委員長」といった風貌だ。
 感情を表に出さないその目の前には、

『なろう 島アイドル!!
    叫べ アイドルチェンジ!!』

 のポスター。そして下の方には。『副賞:島一年分』の文字。
「……島……一年分?」
 特産物を一年分もらえのかな? とイチノが思っているところに。
「ああ、委員長。やはり興味があるか」
 声をかけたのは20代と思しき若い男性教員。
 続く言葉は。
「そう思って応募しておいた」
「は?」
 びっくり、ではなく、純粋に疑問として首をかしげる。
「おっちゃんな、職員会議で『これ、委員長出してみませんか?』って言ったら即決でな」
 教員はうんうんと一人で納得している。しかしイチノとしては。
「はぁ……」
 状況を頭の中で整理する。
1.私は委員長ではない(よく言われるが)
2.担任とは別に血縁関係はない
3.さらに新任なのでおじさんとも言い難い年齢
4.何を勝手に応募してるんですか、興味? ありましたとも
 整理完了。
 故に、言うべきは。
「えっと、何を勝手に応募してるんでしょうか、自称おっさんさん」
「やめてー。自分でおっさんいうのはいいけど、他人に言われると傷つくお年頃なの、先生」
 面倒くさい。
 それはそれとして。
「確かに……まぁ、女の子ですから多少は。というよりも」
 そう。それよりも。
「こういうお祭り事は……結構燃えます。実行委員長とかそういう肩書、結構好きなので」
 この島はいわゆる過疎の地区だ。なので大抵公共イベントにいちのは裏方として参加させられている。
 とは言え、当人はそういった裏方作業が大好きなので、呼ばれなくても「手を貸しましょうか?」というタイプなのだ。
 しかし、教員の反応はそれを否定した。
「違う違う。参加者の方だよ」
「……え?」
「よろしく盛り上げてくれよ、喜増」
 そう言って教員は職員室の中へと入り、イチノも歩を進めて。
「……まぁ、女の子ですから」
 うん。と一度頷いた後に、後ろから担任の声が聞こえた。
「そうだ喜増言い忘れた」
「はい」
 振り返る。
「――笑えよ? 君たちには笑顔が足りない」
 はい。とイチノはまた頷いて、そして一言。
「そうですね。アイドルになるんですから」
 その場を去った。

○――

 職員室の中。そこは暗闇だった。
 その暗闇の中で、先ほどいちのと喋っていた教員は口を開く。
「頼むよ、喜増いちの。"人類が輝いていた世界"を取り戻してくれ」
 それだけ呟いて消えた。
 文字通り、闇に溶けて。

 その闇に浮かぶ姿が、二つ。
 黒い大きな男の姿と、細い女性のシルエット。
 二人は担任の消えた闇を見つめて頷くだけだった。

○――

 島アイドルグランプリ当日。

 会場には300人規模の観客と、地区ごとに選抜されたアイドル候補が集結していた。
 島アイドルグランプリ、参加者控室。
 控室と言っても、野外用のフェンスで区切られ長机が置かれただけのスペースだ。
「……んー。会場準備とかしないで完全に参加者側で参加するのは新鮮だけど……」
 物足りないなぁ、とイチノは思う。
 自分が「お客様」なことに、居づらさを感じるのだ。
 周りを見てもお祭り気分で参加したような参加者ばかりで、特に目立ったような子は居ない。
 ただ一人を除いて。
「……うわぁ」
 その女性は、白とピンクを基本とした衣装を着ていた。他の参加者とは圧倒的に質の高い"衣装"。
 そして綺麗な金髪に、綺麗なおでこを輝かせていた。
「すっごいなぁ……」
 若干引くが、それは他の参加者との差がありすぎるからだ。良くも悪くも"場違い"。
 そんな彼女がイチノに気付き、すたすた近寄ってきた。
「あっこんにちは――」
 挨拶をしようとして。
「アクビが出てもいつも本気♪
  アソビじゃないよ、アケビだよっ♪」
 振り付きで、自己紹介された。
「あ、はい。こんにちは。喜増イチノです」
「改めまして。怒峨アケビよ」
 彼女は「ふんっ」と鼻息を荒くして。
「制服のまま参加だなんて、いかにもお祭り気分の意識低い感が見て取れたから挨拶に来てあげたわ」
 イチノは素直に笑顔を見せ。
「参加ありがとう!! 一緒に、このお祭りを盛り上げていきましょう!」
 その言葉にアケビは一度「ん?」と首を傾げ。
「あ、はいこちらこそ。裏方さんですか。すみません参加者と間違えちゃって」
「いえいえ」
「どうも私一人場違いというか気合い入れ過ぎというか……それでこう、もうちょっと周りの熱量あげられたらなーって」
「なるほど」
「あ、さっきのも、誰も挨拶考えてなかったら恥ずかしいなーって。いや、恥ずかしくてもやるけどね、私」
「ほうほう」
 そこまできて、相槌だけのイチノにアケビは違和感を覚え。
「……喜増さん?」
「あ、うん。さすがに意識高いなーって素直に感心しちゃって。すごいねアケビちゃん。同じ参加者として心強いよ!!」
 うん。と頷いて。
「やっぱりアンタ参加者じゃないの!? 遊ばれてた!? 私もてあそばれた!?」
「いやー、最初にいやいやーって否定したつもりなんだけどー」
 伝わらなかった。
「というかあなた!! イチノ!! そこよっ、その"私が主役"感があなたには足りないの!!」
「あ、はい」
 ですよねー、とイチノは思う。裏方好きだし。
「セルフプロデュース! 誤解を恐れず言えばキャラ作りが足りないわ!!」
 びしっと人差し指を鼻先に突き付けられ。
「キャラ作り……」
「そうっ、例えば今回の特別ゲスト、哀河ザクロと言えば『レッツ・ロック!!』。あれもキャラ作りよ。きっと考えに考え抜いたセルフプロデュースの一環に違いないのよ」
 最後の方は考察になっていたが、それはいいのかな……と思うが口には出さない。
「では師匠。私に足りないものは?」
 師匠と呼ばれたアケビは少し図に乗り。
「ふふん。衣装なんかは今からじゃ間に合わないから、まずは挨拶からね。でも、それよりも前に出来ること」
 イチノは「?」と首をかしげて。
「笑顔」
「はぁ……」
「笑顔は伝播するの。せめてステージの上では笑顔を"作り"なさい。何故なら――」
 それならわかる。イベントの意味。アイドルの意味。
 見に来てくれた人。参加してくれた人の笑顔を――。
「笑顔を"作る"のが、お祭りの醍醐味だから、ね」
 「うん」とアケビは頷いて。
「あなた思ったよりしっかりしてるわね」
「あ、うん。イベント事だと大体裏方でやってたし。表か裏かの違いくらいかなって」
「そう、じゃあ――」
 言って、アケビはイチノの両肩をがっしり掴んだ。
「挨拶。私が考えてあげる」
「え?」
「ふ……ふふふ、私一人意気込んでると思われると会場が冷めちゃうのよ……ッ」
 あー、そういうものかーと思い、アケビに付き合うことにした。
 それは。
「参加するには、全力なんで。『なろう 島アイドル。叫べ アイドルチェンジ』だし」
「ええ。決勝で、会いましょう」
 言われていちのはちょっと迷って、そして言った。
「あ、この大会投票制だよ」
「グランプリとか言ってトーナメントせいじゃないの!? ちょっと運営ーッ!! せめて決選投票とか盛り上がりをーッ!!」
 怒りながらアケビがどこかへ消えたので、イチノは肩の力を抜いて一言。
「挨拶考えてくれるんじゃなかったのかなぁ……」
 結構素直に、そう思った。

○――

 怒峨アケビは細くなっていた。
 物理的に、というより、精神的に、だ。
「なんじゃ、本気なんたらアイドルのアケビちゃん。気ぃつかわんと、もっと楽にして座ればええ」
 先ほどライブを負え、控えの席に戻ったところ。一人一人の場所が確保されているわけではなく、客席の一角に関係者席と一緒に少し隔離される形で島が作られているだけだ。
 丁度イチノが座っていた席があったので交代で座ってみたら。
「い、いぇ……」
 デカイバンカラが来た。ドスンと座った。にやりと笑った。
 なのでアイドル笑顔を返して、逆の席に少しよけようとしたら、
「ないですね」
 女教師みたいな人が真顔で座ってきたので、細くなった。
 もう、細くなってやり過ごそうと決めた。
「そうじゃ。気をつかう必要なんてない。一緒に楽しもうや、アケビちゃん」
「アケビさんも、しっかり役目を果たしましたし。さあ、最後はあの子ですよ」
 バンカラが「うぉー」と拍手をしだし、女教師も小さく拍手をする。アケビも一緒に拍手をして。
「がんばって。イチノ」
 素直に口から言葉が出た。
 そして見守る先。
 ステージの端には司会の女性。ゲストで招かれた哀河ザクロだ。
 彼女はパンクルックに身を包み、赤と紫のメッシュ髪を一度大きく掻き上げ。
「アケビのさっきのライブ。最高にロックだったぜ……。さぁ、最後の出場者はコイツだぁぁっ!! れぇえぇっつ!! ろぉぉぉぉぉぉっく!!」
 ぱぁんと破裂音がして、制服姿のままの喜増イチノがわたわたとステージに上がった。
 それを見たアケビは
「あ、ああ。だからもっと堂々と……」
 心配になり、ぽつりと言った直後だ。
「みんなーっ!! 今日はありがとうー!! この町の住人として、こんなにみんなが集まってくれて、それだけでうれしく思いますッ!」
 笑顔。
 作った笑顔もそうだが。
「嬉しそうじゃのー」
「喜の感情の伝播。いえ、増幅」
 それは、共に確認したこのイベントの意味。
 アイドルの意味。
「楽しんでくれたら、幸いね」
 だから。というように、イチノは息を吸った。
「だから――」
 声を張る。

 アイドルチェンジ!!

 叫んだ。
 直後、イチノの周りの空間が光り輝き、会場を包み出した。
「はぁ!? ちょっとイチノ!!」
「ほぅ、こりゃあ」
「――正解、ですね」
 光はパステルカラーのリボンのように収束し、イチノの身体を包んでいく。
 靴。
 ソックス。
 スカート。
 順に光が上へ昇り、はじける。
 光が消えてジャケットとロングの手袋が出現。
 メガネが消えて、髪型が変わる。
 その姿は、制服をモチーフとしたステージ衣装だ。
「完了ッ、アイドル・イチノ!!」
 アケビが「なななななな、なにこの仕込み」とガタガタ震えるのを全く無視して、イチノは続ける。
「幸せ届けにキマシたイチノ♪
  笑顔イチ番ノ、喜増イチノだよっ♪」
 会場は予想外のパフォーマンスに最初こそ戸惑ったが、盛りあがっている。
「それじゃ歌うよッ!! 曲は『オリジナルキャラクターズアンサンブル』!!」

 ――――

 平凡な毎日に 平凡な自分

  こっそり練習 笑顔の時間

 ちょっとずつだけど削り出す オリジナリティ

   きっとどこにでもある笑顔

 でもね 作る物語は 私たちだけのもの♪

  もっと歌おう きっと出会おう

 私たちのアンサンブル

   きっといつかは オリジナルスマイルで

  出会わなかった私は きっと違う自分

 だからね きっと 君と出会えた 今日の私は

  どこにも居ないオリジナルなキャラクター♪

 ――――

 そして盛況のまま、アピールタイムは終わった。

○――

 制服姿で席に戻ったイチノはまずアケビに怒られた。
「な、ななな、何だったのアレ!!」
 席にはバンカラも教師も居ない。素直にアケビの横に座った。
「え? だって書いてあったじゃない。『なろう 島アイドル。叫べ アイドルチェンジ』って」
「いやいやいや。叫んで変身できたら世話ないっての。っていうか、アンタのその舞台慣れ何!?」
 ふむ。とイチノはアゴに指をあて。
「練習したんだよっ♪」
 ぱっとはじける笑顔を"作った"。
「練習で叫んだら変身しちゃったんだよ♪」
「それーっ!! ナニソレ詐欺臭い!!」
 イチノはまたいつものあまり感情を表に出さない感じに戻り。
「えー、"作れ"って言ったの師匠だよ」
「誰が師匠よ」
 イチノはいやいや、と手をパタパタさせ。
「ホントだよ? アケビちゃんを見て、"すっごい"って思った。アケビちゃんと話して、"正しい道"が見えた」
 だから。うん。と頷き。
「アケビちゃんは私の師匠で、私のアイドルのお手本なの」
 真っ直ぐにそう言われて。
「あー……」
 アケビは真っ赤になって顔を逸らし。
「ありがと」
「うん。私もありがと。えへへ、アケビちゃん師匠誕生だー」
「なっ、ちょっ!?」
 アケビが抗議の声をあげようとしたとき、舞台上で動きがある。
「レッツ・ローック!! 集計結果が出たゼーっ!! 投票の結果、優勝喜増イチノ!! 準優勝が怒峨アケビだーッ!!」
 会場が沸いた。
「おおー、やったー。みんな楽しんでもらえたんだー」
「まー、変身のあのインパクトには勝てないわー」
「だからみんなも叫んで変身すればいいのに」
 イチノが不思議そうに小首を傾げるので、アケビも小首をかしげた。
 しかし疑問はそこまでで、スタッフに舞台にあがれと指示される。
「さーあ、優勝した喜増イチノと怒峨アケビ……ん? と、アタシ、哀河ザクロ? ……には、副賞として、島一年分が授与されます」
 ふむふむ、と頷くイチノとアケビ。
「一年間、この島を開拓しつつ、チームでプロモーションビデオを作成。タイアップの番組のOP・EDを歌ってもらいます」
 と、ザクロは手にしたメモを読み上げた。
 数秒間が開き。
『はぁぁぁぁぁぁ!?』
 三人は一様に驚き、しかし会場は盛り上がっている。
 イチノは「ならまぁいいか」と、メモを凝視するザクロの横から進行表を覗き見て、残りは締めの一言だけと確認した。
 そして。
「じゃあみんな、これからも私たちを応援してね♪ 『めざせ! 島アイドル!! 叫べ――?』」

 アイドルチェーンジ!!

 観客が叫び。

 観客が皆、変身した。

 変身シーケンスが終わるまで数秒。
 そしてイチノはアケビに向かって真顔で言う。
「ね? この島って、こういう島みたい」
「な……な……なんなのよこの島――!!」
 アケビの叫びがこだました。

○――

 会場から少し離れた場所。
 バンカラ風の男、バン道おめがと、教師風の女、佐藤サキはその様子を見守っていた。
「さすがは"願いを叶える島"じゃの」
「埋まっているものだけど」
「正確には、な」
 しかしまぁ、とはおめがはサキを見て。
「潜入のためとはいえ、そのカッコ似合っとるの、サキ」
「あなたには負けるわ。おめが」
 そうじゃろ、とおめがは笑い。
「さぁて、こっから大仕事じゃ。"希望"の詰まった"玉手箱"を"パンドラの箱"にしないためにも」
「箱の中の"希望"。箱を開けたら消えるのであれば、それは"希望"と言えるのかしら」
「どっちでもええんじゃ。今この世界が欲しがってるのは、ワシらじゃのぅて、あの子らじゃ」
 そうね。と言って、サキは会場に背を向けた。
「消えましょう」
「おう」
 それだけ言って。
 二人は文字通り、その場から"消えた"。

 残ったのは遠く。島アイドルグランプリ会場の祭りのあとの賑わいだけだった。