野外のライブ会場。
 深夜の森林公園の一角に、ぽつんと光が灯っている。
 集まっているのは男女若者ばかり総勢50人ほど。
 ライブ会場には巨大な音響設備のほかに、一つの特徴があった。
 巨大ディスプレイ。
 それも、映像ではなく、文字を表示することに特化した、古いタイプのLED看板のようなものだ。
 そのライブの主。
 ぴったりとしたパンツに、ラバートップで胸を拘束。長く黄色いマフラーはどういう原理か会場を舞うようにひらひらひるがえっている。
 *Mana*Fこと、尾津愛はマイクを掴んでこう言った。
「さあ、始めるヨ」
 会場が沸いた。

○――

 ライブ会場。その中でマナを見ていない者がいた。帽子を深めに被った男。
 彼は人の陰に隠れるように辺りを移動し、時折観客と物品と金の交換をしていた。
「イシターあるかい?」
「へい、まいど」
 現金と引き換えに手渡したのは、カプセル状の錠剤。違法薬物だ。
「こっちにもイシターもらえるか?」
「へい」
 金髪おかっぱの女が薬を手にし、眺める。
「なぁ、それ、と、これ。中身は全部一緒?」
「ええ、ちょっとした漢方でさぁ。なんですか姐さん。言いがかりでも付けようってんですかい?」
 言葉とは裏腹に、男はへらへらと笑っている。
「いや。では仕入れルートが違うだけかな。一つは『Lojy』からの横流し。もう一つは――」
 おかっぱの女性はステージを見る。
 そこには、音楽と共に、詞がディスプレイされていた。
【古い信仰 古い女神】
【忘れられた 忘れ得ぬ日々】
【繁栄と 栄光と 原初の愛】
 そこでマナは後ろを振り返り。
【――忘れ得ぬ 女神の名】
 ディスプレイを見上げて、歌を止めた。
「……私は、知らないヨ?」
 直後、観客が一斉に叫んだ。
 熱狂的に。
 妄信的に。
 狂信的に。
 その名は。

『イシュタル!!』『イシュタル女神!!』『イシター様!!』

 言葉と共に、ライブステージに一人の人物が現れた。

「そう。繁栄と豊穣の女神イシュタル。その名を刻みなさい、人間ども」

○――

 舞台に現れたイシュタルを名乗る人物。
 プラチナブロンドの長い髪と、貴金属とみられる髪飾り。そして古代オリエントを想わせる、白い布を身にまとった姿。
 その彼女は歓声を一身に浴びながら、一度ゾクリと身体を震わせた。
「素晴らしい……やはり、現実化前に霊薬を撒いておいて正解でした。この甘美な根源的信仰心……実に素敵です」
 言って、マナに身体を向けた。
「あなたにも礼を言いましょう、“予言の巫女”。貴方のおかげで楽に現実に出られました」
 その返答は、舞台端に置いてあったフリップだ。
【どちら様ですか?】
 その言葉に、イシュタルは眉と口の端を釣り上げた。
「わ、私の事を、まさかご存じない……?」
 マナはもう一度同じフリップを叩き。
「知らないヨ。これはマナ子のライブです。余興の一つにもなれないのであれば――」
 言葉の最中に、身体が浮いた。
「余興……ねぇ。身の程も知らず、信仰心もないのであれば、あなたが余興になってくださいな」
 マナは空中でもがくがそれだけだ。次第に身体は観客の頭上へ移動して止まる。
「教えてあげましょう。私は繁栄と豊穣の女神。――言い換えれば、性愛の神ですわ」
 言った瞬間に、会場の雰囲気が変わる。
 イシュタルを見ていた視線が、全てマナに戻る。しかしそれは、元の視線とは違うものだ。
 マナ自身も本能的に身の危険を感じるほどの濃い視線。
 胸に、尻に、唇に。
 より直接的な、性の象徴に。
 手とマフラーで隠そうとしても、空中なのでうまく隠せない。
「今さら見られることに何を抵抗しているの」
 くすりと笑うイシュタル。
 マナを掴もうと、我先にと手を伸ばす観客たち。
「薬に“神の意志”を混ぜ込んだ甲斐があったわ。さあ、“予言の巫女”。性愛の神を呼び出した栄誉として、信者たちの慰みモノにしてあげるわ。“巫女”ですもの、ね。かつてはよくあった――余興よ」
 言い終わると同時、マナに重力が戻った。
 落ちる瞬間、マナは単語帳を取り出してイシュタルに投げつける。
 額に当たったイシュタルは、ちょっとむっとしながら開かれた単語を見た。
【ぶっ殺す】
 笑う。
 再びマナを見るが、しかし観客に呑まれてその姿は見えない。しかし、聞こえずとも、口にした。
「どんなものも、神を殺すことはできないわ」
 応えはない。そのはずだった。
 しかし、
「ああ、実在しないのであればな!!」
 声が響いた。
「だ、誰!? どこにいるの!?」
 観客たちもきょろきょろし始めるが、周りにそれらしい姿はない。
 声の方向は上から響くように。
 だからイシュタルも空を見た。
「なっ!?」
 それは“あった”。
 上空。
 夜の空に透けるように。
 巨大な都市が、浮いていた。
 その先端。
 崖にも見える場所で、金髪おかっぱの女が、大剣を地面に突き立てて、声を響かせる。
「万魔機操忘却都市――パンデモマキナ=ムネモシュタットの騎士オルレイン・エルトリウム!! 現実と虚構の区別がつかなくなった神を在るべき場所に還しに参上した!!」

○――

 オルレイン・エルトリウムは、決まったな。と思った。
 今回事前準備をしっかりしていたおかげで、絶妙なタイミングで出てこられた。
「よし、ではジーユゥ、ムネモシュキャノンで牽制だ。それどっかーん!!」
「皆殺しになりますよ」
 呆れ顔で通信を開くのは、二頭身の自由の女神だ。
「それよりいいんですかい? あの“巫女”、レイープ直前ですが……」
「いいんじゃないか? それで巫女の力が消えれば万々歳だ」
【い・い・わ・け・あ・る・か】
 ディスプレイが自己主張した。
 なら仕方ない。というか、レイープされても巫女の能力消えなそうなので、とりあえず介入することにした。
「とうっ」
 半現実化しているムネモシュタットからステージへ飛び降りる。
 ついでに剣も振りかぶり。
「死ねい! エロ女神!!」
「ちょ!? きゃーっ!?」
 ライブステージが大破した。ついでに観客とマナも吹き飛んだ。
【ザ☆とばっちり】
 ディスプレイは生きているようだ。意外にしぶとい。
「避けるな。死なないんだろう?」
「死なないはずなのに怖かったので避けましたわよ!!」
 イシュタルは体制を整えて、問う。
「先ほど面白いことを言いましたね……」
「死ね、エロ神か? 結構直接的でよかったと私も思っている!」
【次点:ライト卑猥神】
「おおっ、それもいいな!」
「……このディスプレイ、ホントは生きてませんか?」
 それはそれとして。
「現実と虚構の区別がつかなくなった神を在るべき場所に還しに、と言いましたね」
 オルレインは頷く。
「そうだ。――私たちの世界は、すでにそんな神々の終末神話に巻き込まれて滅びた」
 うん、ともう一度頷き、剣を地面にまた、突き立てた。
「君の神話は“豊穣や性愛”。そして、それにまつわるトラブルと――冥界下り」
「それがどうしました?」
 頷く。
「“豊穣や性愛”が冥界に下る。それはすなわち、地上から“豊穣や性愛”が消えてしまうんだ」
 イシュタルも笑みで首を傾げ。
「もう一度言いましょう――それがどうしました?」
 オルレインを見据えた。
 対するオルレインもまた大きく頷き。
「わかった。ならば実力行使だ」
「そう。――ならばこちらも軍勢を呼びましょう。私が戦の神でもあることを、知らないというわけでもないでしょう?」
 手を掲げると、空から巨大な甲冑の兵士たちが降りてきた。
「神の軍勢。相手に出来るものならしてみなさい」
 すると、オルレインはまた頷いた。
「承知した」
 剣を振り上げる。
「虚空剣グリム・グラムの名の元に――砕き現れよ! ベイベル・トゥーア!!」
 一瞬で、30mクラスの巨大なロボットが現れた。

○――

・勝利条件:敵の全滅

○――

 ベイベル・トゥーアは圧倒的な力で敵を片付けた。
「残るはイシュタル。お前だけだ」
「くっ、私の信仰力、この程度と思わないことね」
 言うと、イシュタルは装飾品と共に自ら服を剥ぎ取った。
「開け、冥界の門――ッ!!」
 そのまま背後の闇へと呑み込まれ。
 次の瞬間には、ベイベル・トゥーアの倍以上の大きさの機械女神が現れていた。
 その背後には、今までの二倍量のイシュタル軍。
『どうです。これで力の差がわかりましたか?』
「ああ、わかった」
 イシュタルの頭上に「?」が浮いた直後だ。
「ムネモシュキャノン、発射!!」
『チャージ完了ッ、皆さまお覚悟くださーい!!』
 ムネモシュタットから、ビームが発射された。
『ちょっ!? なんです、その出力――!!』
 神の軍勢は一掃され、残ったのはボロボロのイシュタルだけだ。
『……悪魔じみたこの威力……あなた本当に、人間なの……?』
「既に滅びた世界の末裔だ。故に――」
 ベイベル・トゥーアはムネモシュタットからエネルギーを得てさらに巨大化する。
「砕けろ神話! 滅せよ虚構――!!」
 グリム・グラムをその場で振り上げ、真っ直ぐに降ろす。
 離れた場所にいるイシュタルはその姿を見て、そして上空を見上げた。
 刃。
 巨大な。
 イシュタルの何倍もある剣が、まっすぐに落ちてくる。
『……嘘みたいな話ね……』
「神話とは、そういうものだ」
 全てが砕けた。

○――

 尾津愛は、その戦闘を見ていた。
 本来は、途中から別空間に移転して、現実からは見えなくなった、その戦闘を、だ。
「ここで退場など……させません」
 地面に落ちていたカプセルを手にして。
「こんなの、マナ子は知らないヨ」
 言って、一枚の符を手にした。
「マナ子のライブを汚した報い――受けるといいヨ」
 その符には一言【召喚】と書かれただけだった。

○――

 イシュタルは、血を吐いていた。
 それは、ベイベル・トゥーアの攻撃によるものではない。
 真っ赤な、機械の手。
 マネキンの頭部ような巨大な物体。その目の部分に、アイマスクのようにティスプレイがある。
 そこに映るのは。
【善き、意志を】
 文字だ。
「……ジーユゥ、あれは何だ」
『すみません、断言できないんですがウォフ・マナフっぽいなー……と』
 オルレインはその言葉に頷いた。
「わかっている。だから“何だ”と聞いてみた」
『何ですかねぇ。分霊……とも違う。虚構の世界にウォフ・マナフ自体が存在するか探ってみますか?』
「いや、藪を突いて神を出しても良くない。――今の、上手かったな。藪を突いて神を出す」
 オルレインはまた頷く。そしてウォフ・マナフ(仮)に貫かれたイシュタルを見た。
「死んだ、か」
【善き、死を】
 オルレインは頷かない。
 ただ。
「ジーユゥ。キャノンの準備は」
『もう少々かかります』
【案ずることはありません】
 ディスプレイが変化する。
【我はすぐに虚構へと還る】
 消えゆくウォフ・マナフと共に、人の姿となったイシュタルも消える。
「……虚構に還せず、死を与えてしまったか」
 ほとんど消えたウォフ・マナフは、その言葉に反応しない。そして、全て消え去り。
 そして残されたライブ会場のディスプレイ。
 そこには。
【ここは善い、現実と虚構の狭間ですね】
 その言葉が一瞬映って、そして消えた。

○――

 すべてが消え去り、残されたのは破壊されたライブ会場と観客。そして。
「……むぅ」
 マナ子はすでに警察を呼んでいた。
 警察官も、思ったより状況がひどいようだったので慌てた様子だ。
 そんな警察官の袖を引き。
「ゲリラライブしてサーセンでした。あ、先にそのおっさん捕まえてください。はい。あ、その辺のチンコ丸出しで気絶してるのは、マナ子をレイプ未遂で――まぁ、未遂でいいです。むっちゃ触られましたが、適当に揉み返したのでノーカンで。いえそのくだりはどうでもいいのですが、そこのおっさんが漢方とか言って違法薬物ばら撒いてたみたいで。はい。ステージ大爆発はマナ子側のミスで、こんなのも出入りさせたのもこっちのミスですが、繋がりはないことは先にお断りしておこうかと。はい。そうです。はい」
 自分で言いながら、「こりゃ実刑だよね」とマナ子は思う。
 しかし。
【まさか本当に召喚できるとは】
 足元にフリップが落ちていたので拾う。
【また一歩、目的に近づいた】
 フリップを眺めながら、パトカーに乗る。
 はー。と長くため息。
「いっぱい喋って、疲れたヨ」
 それを聞いた警官が、これからじっくり聞くことになるんだというので、フリップを渡した。

【これにすべて書いてあります】

 窓の外を見ながら。マナ子は思う。
 さぁて、どうしようかな、と。