とある住宅。城とも言っていいほどの豪華な作りのその屋敷に、男が住んでいた。
 財に恵まれ、使用人を雇うほどの家だったが、男は早くに妻に先立たれ、使用人も次々に失踪。
 一人。残った男は、いつしか“青髭”と呼ばれるようになった。
 ある日、青髭は一人の女性と知り合う。
 青髭は女を屋敷に住まわせた。
 そして数日。
 女を見る者はいなくなった。
 いぶかしんだその女の妹が、青髭の屋敷を尋ねる。独りになってしまったと嘆く妹に、青髭は良ければ家に住むと良いと言い、鍵の束を預けた。
「部屋は自由に使うといい。でも、いいかい。この金の鍵が合う部屋にだけは、決して入ってはいけないよ」
 そう言って、青髭は仕事へ出かけた。
 妹は、姉を探して部屋をまわり。そして最後に、地下室に辿り着いた。
 鍵はすべて使い、残ったのは金の鍵のみ。
 妹は迷ったが、鍵を開けた。
 とたん。生臭い風が流れ、妹は地下室の階段を転げ落ちてしまった。
 足をくじいた妹は、それでも薄暗い地下室を手さぐりで進む。
 すると。
 ぬるり。
 湿った、粘つくような液体の感触。
 直後、明かりが灯り。
「おねえちゃん!!」
 腹を裂かれ、内臓を取り出された、姉が居た。
 先ほど触ったのは、姉の血液だったのだ。
「やれやれ。見てしまったんだね」
 現れたのは、青髭だ。明かりを点けた彼は、しかし入り口から動かない。ただ、部屋を見回す。そこには、はく製となった女たちが居た。
「どの女も私を裏切ってくれる……本当に……どの女も……」
 嘆くというよりは、あきれた調子で彼は言い。
「お姉ちゃんッ! 起きてよおねぇちゃんっ!!」
「安心したまえ。周りの女と同じように、綺麗にしてあげよう。――二度と、私を裏切らないよう……に」
 青髭の言葉が止まった。それは。
「あ、よかったー。お姉ちゃん、“起きたぁ”」
 確かに腹を裂いた彼女の姉――サーキュレット・サキュバスが起き上ったからだった。

○――

 青髭は混乱していた。
 確かに、あの女は殺したはずだ。
 約束を破り、この部屋を見たため、首を絞めた。
 それだけなら気絶していただけかもしれない。
 だが、彼女は、腹を裂き、内臓を取り出し、血抜きの最中だったのだ。殺したのだって数日前だ。
「なんだ……なんなのだ!? 夢でも見ているのか!?」
 その言葉に、サーキュレット・サキュバスは笑い。
「そうですわね。今まで大変おいしくいただきましたわ。あなたとの“淫夢”。でも、ここから先は――」
 指を鳴らせば、明かりが消える。
 ひぃ、と青髭がドアの取っ手を握るが、それはぐにゃりとした生暖かい感触。
 よく覚えている。
 内臓だ。
 指の音がもう一度鳴る。すると地下室は、鮮やかな肉や内臓に包まれた、肉壁に囲まれていた。
「“悪夢”かもしれませんわね……」
 くらり。青髭はめまいとともに、地下室の床に転がった。痛みはない。やわらかい、温かい、肉壁だ。
「えー、おねーちゃん。かわいそうだよー。いーっぱい、いっーぱい幸せにしてあげて。いーっぱい、いっぱーぁい! ぐにゃんぐにゃんのどろっどろにしてあげないとー」
 妹――ノイエン・サキュバスも、姉が生き返った姿を見たはずだ。それなのに、当たり前のように会話を続ける。
「何者だ……何者なんだ」
 青髭の問いに。
「“欲望”を糧として闇に住まう者――そうですわね、“淫魔”と言えば、わかりやすいかしら?」
 答えたその姿は。
 捻じ曲がった角に、コウモリを思わせる翼、そして赤い瞳。
 姉妹そろって、人ではないモノへと変異していた。
「しまいのいんまなんだよー。ねー?」
「でももう、夢も終わり。――なぜならあなたは気付いてしまったから」
 どくり。と肉壁が鼓動した。
「胸の奥に潜む、燻る、その“欲望”に。“願い”に――」
 サキュは一度手を合わせ、そして少しの隙間を作る。
「さぁ――あなたの“イデア”は、どんな形かしら?」
 そして生まれた赤い魔法陣は青髭を包み――。
「――ッ」
 杖が床を叩く硬い音と共に、砕け散った。
 見れば、肉壁も消えている。
「現れましたわね。AAA=Jack」
「あなたが悪ささえしなければ、出る必要もありませんけどね」
 新たな青い魔法陣が青髭を包む。同時、青髭は時が止まったかのように動かなくなった。
 その背後に居たのは、白い帽子に白いコート、青い髪の少年。
 AAA=Jack、名無しのジャックだ。
「それはこちらの台詞ですわ。あなたこそ、“パンドラの箱の鍵”を渡してしまえば、私だって悪さをしませんのに」
「そーだよーっ。ジャックのいぢわるーっ」
 ジャックはふと、ノイに目を向け。
「こちらは?」
 問いに、ノイはふわふわとした笑顔で頭に大きく「?」を作り。
「サキュおねぇちゃんの妹の、ノイエン・サキュバスだよー。なんでー?」
「……そうですか。確かに、“どこかで会ってた”かもしれませんね。ええ」
 そのやり取りに、サキュはため息。
「話しを逸らすのはやめていただけます? 渡していただけないから。“鍵”を。でなければ、こうやって無理矢理こじ開けようとしてしまいますのよ? 意地悪なジャックのせいで」
 ジャックは、ふん、と鼻で笑い。
「あのね」
 一度消え。
「――あんまりナメた事ばかり言うもんじゃないわよ。この売女」
 次に現れたのは、サキュの背後。それも、右手で持ったジャックナイフを、彼女の喉元に突き付けて、だ。
「いいわねぇ……滑らかな曲線。うらやましいわ」
 左手で彼女の乳房をなぞり。
「――奪っちゃいたいくらい」
「アナタに用はないの。ジャックを出しなさい。このオカマ」
 あらやだ。とジャック。
「ご存じアタシはジャック・ザ・リッパー。でもね、魂に性別なんて関係ないのよ?」
 つ……とナイフを下へと動かし。次は胸元を横切るように一文字。
 赤い、十字の様なキズが付く。
「お、おねぇちゃんっ」
「おっとー。ストップ。まわりよーくみてー、ノイちゃん」
 ジャックの様子が一変。無邪気なものとなる。
 言葉の通りに周りを見回すと、そこには大量のニンニクが、ノイを取り囲むように配置されていた。
「わ、わわわわわっ」
「たいへんだー。これじゃ出られないねー」
 うんうん。と涙目のノイ。
「ぼくが出るの手伝ってあげるよ。でも、その代り、“約束”してね」
「うん、やくそくす――」
 る。という前に。
「ノイ。落ち着きなさい。あなたは淫魔なのだから、ニンニクなんて効きませんわ」
 ジャックに捕らわれたままのサキュがそう言うと、ノイもハッと気づき。
「ダマされた! ひどいよジャック!! 子供のくせにーっ」
 ははは、ごめんね。とジャックは指を鳴らす。するとニンニクは炎に包まれた。
「さ、お詫びのしるしにお一つどうぞ」
 そしてノイエンが「わーい」と程よく焼けたニンニクを口にした途端。
「うわーんっ」
 中から十字架が出てきた。
「ごめんごめん。うっかり十字架入れちゃった。お詫びのしるしに“もういたずらしません”って約束したら、その十字架をとってお友達になってあげるね。僕の事、じゃっくんって呼んでもいいよ」
「うえーん。じゃっく~ん。もういたずらしま――」
 約束しようとするノイに、サキュは呆れた調子で。
「ノイ、落ち着きなさい。二度も三度も騙されるものではありませんわ。――あなたも、うちの妹で遊ばないでいただけます? ジャック・オ・ランタン」
 ジャックはサキュの乳房に当てた左手に力を込めて。
「子供のイタズラだよ」
「悪魔を騙して寿命まで生きた酒飲みが、よく言いますわ……」
 やだなぁ。とジャックは笑い。
「魂に、年齢なんて関係ないよ」
「ふざけたことを……」
 言えば、左手はサキュの皮膚に食い込むほど力を増し、サキュの顔がゆがむ。
 ノイが姉を心配する声を上げるが、それをサキュは制し。
「いたぶったりせず、一気にイかせてほしいものですわ。――“魔界”へ」
 そう。
「ええ、この気持ち。あの“青髭”さんのイデアにそっくり。だってあの人」
 ふふ、と笑い。
「ノイ」
「うんっ。お姉ちゃんっ」
 つんつんっと、ニンニクをつま先で転がして脱出したノイは、はく製にされた女たちの元へと飛んでいく。
 そして。
「強い“欲望”。それは何も、生きた者だけにあるわけではありませんわ」
「ノイちゃんが、元気を分けてあげる」
 言って。ノイエンが触れた女たちから、黒いモヤのようなものが立ち込め。
「――寄りて依りては燻る炎。闇より出でて無に帰す強き欲望よ」
 “何か”の気配が、充満した。
「――そのイデアをあらわにしなさい!」

 ――ねぇ。あなたは何になりたかった?

○――

 青髭は、止まった世界の中で、女たちを見ていた。
 騙すことも、語ることもなく、ただ自分のものとなった女たち。
 それが今、黒い獣のようなものになって、自分に迫ってきている。

 ――ねぇ。あなたは。

 青髭は思う。
 ああ、これだ。と。

 ――何になりたかったの?

 女を殺している時の興奮。
 はく製にしているまでの、その工程全て。
 ずっと思っていたことがある。

 ――何が、欲しかった?

“殺されてはく製になるというのは、どんなものなのだろう”

 それが今――叶った。

○――

 戦闘は一瞬だった。
 召喚されたツヴァルシェントの一撃で、黒い獣は消えた。
 代わりに、ツヴァルを召喚したことによって、青髭を守っていた魔法陣も消え。
「……これが望みとは、人間とは不思議なものです」
 はく製になった青髭が残された。
 淫魔姉妹もいつの間にか消えていて、残された動くものはジャックのみだ。
「状況は安定。これ以上の変貌もありませんね」
 やれやれ。とジャックはため息。
「サーキュレット・サキュバスに……ノイエン・サキュバス。ですか……」
 足元に落ちている、べったりと血の付いた金の鍵を拾い。
「“パンドラの箱の鍵”……あるのなら、さっさと渡したいものですよ」
 地下室に鍵を掛けて。
 そしてジャックも消え去った。